サンプル

虎穴で飼われる仔は虎をのぞむ

『虎穴で飼われる仔は虎をのぞむ』サンプル(※本は縦書きのため、一部サンプルと記号等が異なります。) 「仔の不安を虎は慰む」(書下ろし)    七  夕食は俺が好きなものばかりだった。でも、体と心に何か余計なものが挟まっているようで、おいしいと思っても、笑顔になったり、夢中で食べたりはしなかった。おいしいと感じたのは、間違いない。なのに、体や心がうまく動いてくれなかった。自分の心、精神みたいなものが、体と切り分けられて、どうつながっていたのかを忘れてしまったみたいで、とても変な気分だ。虎哥と兄貴たちが気を遣ってくれているのは分かっている。だから、嬉しがるか、喜んでみるか、どうするかはともかく、俺は気を遣ってもらえたおかげで、もうこんなに元気だと示して感謝しないといけないと思った。けれど、できなかった。  いつもより時間をかけて夕食を食べると、兄貴たちがたくさんお菓子やジュースをくれた。  もうお腹がいっぱいだから、あとで食べるともらって、虎哥についていって二階に上がった。 「風呂の準備もしてある。今日はもう風呂に入って、よく休め」 「一緒に入っていい?」  いつもは一人か、仕事から戻ってきた兄貴たちと風呂に入る時間が合えば、一緒に入る。虎哥と入ることはあまりない。子どもは自立するべき、信一だって風呂は一人で入っているんだから見習えと、虎哥はここに来たばかりの俺によく言っていた。  いいと言ってくれるだろうか。俯いて抱えたお菓子とジュースを見つめていると、頭上でかすかに息をつく音が聞こえた。笑っているようにも、呆れているようにも聞こえた。困っているようにも聞こえたけれど、そうじゃないといい。 「お菓子を持ったまま入るのか? まず部屋に置いて、着替えを持ってきなさい」 「分かった。すぐ準備する」  顔を上げると、虎哥は笑って背中を押した。早足で部屋に向かって、もらったお菓子とジュースを机の上に置く。読んだ途中で開きっぱなしの漫画やノートの上に置いたから、誰かがに見たら怒られそうだ。タンスから寝間着のタンクトップと膝丈のズボン、下着を取り出し、浴室へ走る。脱衣場では虎哥がちょうど服を脱いでいた。 「早いな」 「嬉しいから」 「そんなに嬉しがってもらえるなら、毎日一緒に風呂に入ってやろうか」  嬉しいのは一緒に風呂に入れることもだけど、俺のわがままを聞いてもらえたこともだ。俺の頼みを優先してくれた、それが嬉しい。 「毎日だと迷惑になるから。ときどきで大丈夫」 「大人になったな。寂しいものだ。先に入っているぞ」  そう言って、虎哥は浴室に入っていった。水が流れる音がする。俺も急いで服を脱いで浴室に入った。熱気が全身を覆う。虎哥はシャワーで髪を洗っている。俺はその隣に座って、もう一つのシャワーを取ろうとした。 「十二」  水が流れる音の隙間から、嗄れた声が届く。虎哥が座りなさいとプラスティックの椅子を叩いている。座ると、頭からお湯をかけられる。久しぶりだ、こうして洗ってもらうのは。目を閉じる。大きな手が頭を擦って髪を洗ってくれる。途中でシャワーが離れて、シャンプーが泡立てられていく。いい匂いだ。これは虎哥の愛用品で、龍哥の店で買っている。爽やかで、オレンジやレモンみたいな香りがして好きだ。  丁寧に頭をもらっていると心地よくて、眠くなってしまう。目を閉じたままで、本当に眠ってしまいそうだと思ったところで髪を洗っていた手が離れて、シャワーで泡が流されていた。温かい。泡から水が流れる感覚に変わっていく。そこで、シャワーのお湯がとまった。 「洗えた。さっぱりしたか」 「うん。ありがとう」 「体は自分で洗えるな」  だめなの? やってほしい、と言いかける。虎哥だって髪を洗っている途中だったと気がついて、頷いた。 「うん。虎哥の背中を流してもいい?」 「やってくれるのか。ありがたい。髪を洗う、待っていてくれ」  大きく頷いて、急いで体を洗う。虎哥が髪を洗い終えるまでに体を洗って、いつでも背中を流せるようにしたい。全身を洗って、石鹸を流し終える。ボディタオルを用意して虎哥を待つ。虎哥はシャンプーを洗い流し、後ろに髪を払って俺に向く。任せたと言うように頷いた。俺は椅子から立って、石鹸を取る。そして、大きな背中を丁寧に洗っていく。  虎哥の背中は大きくて、がっしりとしている。そこには虎の入れ墨がある。初めて見たときは驚いたけれど、細かく描かれた獰猛な虎が、虎哥の背中で生きているように見えた。とてもかっこよくて、じっと見つめてしまった。用もないのに人をまじまじと見つめるのは失礼なのに、とそのときは視線を落としてよく見られなかった。  けれども、今は背中を洗いながらしなやかな虎の姿勢、鋭い牙、迫力のある眼を間近で見られる。さらに、背中の傷痕を触れてたどったり、入れ墨を欠けさせている傷を見たりまでできる。この入れ墨はいつ入れたのか、この傷はもう痛くないのか、いろんなことを聞きたくなった。一度は聞いてみたいけれど、俺には聞けないままなのだろうという寂しい気持ちもある。  たぶん、虎哥に聞いても教えてくれない。もちろん、俺から聞く気もない。入れ墨も、傷も、きっと大切な思いや大変だった過去がたくさんあって、気安く話したいものではないと思うからだ。  背中を洗い終えて、シャワーで背中を流していく。泡が流れていくとき、入れ墨の虎と目が合った気がしてきて、顔が熱くなる。シャワーを持つ手がとまった。 「ありがとう、十二。湯舟に浸かっていなさい」  入れ墨に見惚れていた。シャワーを元の場所に戻して、すぐに浴槽に向かう。  心臓がはやくなっている。お湯に浸かって膝を抱えて、目を閉じる。温かい。背後に聞こえるシャワーの音にそわそわして、落ち着かない。お湯を掬って顔に何度もかけた。のぼせてしまったのだろうか。変な気分がする。早く治まれ、落ち着けと頭で繰り返している間に、シャワーから流れる水の音がやんでいた。  足音が近づいてくる。抱えていた膝を離して、脚を伸ばす。隣に虎哥がきた。俺はその肩にもたれかかり、心臓がはやくならないことを確かめた。大丈夫、いつも通りだ。さっきは改めて見た入れ墨がかっこよくて、緊張しただけだ。 「十二、俺といても大丈夫か」 「どうして虎哥といたら、大丈夫じゃないの?」  顔を上げると、目を細めた虎哥と目が合った。 「今日……お前はひどい目に遭った。俺が傍にいるせいで、そのことを思い出させていないか心配だ」 「そんなことない。あいつらと虎哥は違う。兄貴たちだって」 「頭では分かっていても、体や心は違うときがある。怖くないと思っても、無意識で怖く感じるときもある」 「俺、一人でいる方が怖い。一人でいると、今日のことを思い出しそうで嫌だ」  つい虎哥の腕にしがみついてしまった。一人にしないでほしかった。でも、本当はこんなことしたくなかった。こういう気持ちやわがままはできるだけ抑えないと、嫌われてしまう。 「そうか、そうだな。一人のときに、怖い思いをしたせいだな。すまなかった」  なぜ虎哥が謝るのだろう。俺が突っ走って行動したのがあんなことになった原因なのに。大丈夫、謝らないでと言う前に、虎哥が俺を抱きしめてくれた。温かい。触れているだけで心地いい。大きい体に守られているみたいで落ち着いた。  しばらくすると、虎哥が俺を離してそろそろ出ようと言った。頰が焼けるように熱くなっていたから、虎哥について風呂を出た。 「俺の部屋で寝るか。まだ雨もやんでいない」 「うん。部屋に一人だと寂しい」  虎哥は俺の背中に手を添えて、部屋に向かった。二階で一番広い部屋だ。扉を開けてもらって中に入る。明かりがついた。大きなベッドと小さなテーブル、ソファ、棚がある。何回入ってもかっこいい部屋だ。九龍城砦の龍哥の店も好きだけれど、この部屋は物が少なくて、静かだ。一人でいると心細いかもしれないけど、誰かといると特別な場所だと思えて気分が落ち着く。 「十二、悪いが先に横になっていてくれ。俺はまだ仕事がある」  そう言って、虎哥は書斎へと向かおうとする。俺もほとんど入ったことがない部屋で、虎哥が集中して仕事をしたいときに使う。書斎の扉に向かう虎哥の背中を追っていた。雨の音が強くなった。 「一人で眠るのが嫌なら、何か音楽か、ラジオでもかけておこうか。別に眠らなくてもいい。横になって体を休めるだけだ」  虎哥が振り返って言った。俺はいつの間にか、虎哥が寝間着の上から羽織っている上着の裾を摘んでいた。 「何もかけなくていい、一緒にいたい」 「なるべく今日中に片付けたい書類がある。終わったらすぐお前のところに戻る」 「……分かった」 「すまない」  首を横に振る。俺はもう子どもじゃない。半分くらい、大人みたいなものだ。信一だって、龍哥と一緒にいたいから黒社会に入るんだと言っていた。友達がそういう大切な決断をして大人になっているのだから、俺も大人にならないといけない。  虎哥の上着から手を離す。息を飲んだ。喉や鼻の奥が痛い。 「わがままを言って、ごめんなさい」 「こんなことで謝るな。俺が悪い。お前はいい子だ」  泣きそうだった。目元が熱い。どうして泣くんだと苛ついた。思うようにならない自分に嫌気が差す。自分じゃなかったら突き飛ばしている。  俯いて首を振って、虎哥に背を向けた。泣いているのを見られたくない。ベッドに上がって薄手の毛布を頭から被った。きっと、虎哥は心配そうな顔をしている。構ってほしいと思わせただろうか。  お願い、放っておいて。俺はいい子じゃない。優しくされる方が今は惨めだ。雨の音以外は静かだった。息を殺して周りの音を探る。きい、と扉が動く音がした。  足音と扉が閉まる音が続く。残ったのは雨の音。膝を抱えて背中を丸める。目を閉じる。眦から涙が伝い落ちた。寂しいのか、辛いのか、安心したのか分からない。ただ、俺は一人でも大丈夫だ。虎哥もすぐに戻ってきてくれる。  別に泣かなくてもいい、泣きたいわけじゃない。平気なはずだ。なのに、どうして泣くんだ。ふざけるな。悔しい。  目を強く閉じる。シーツを握る。  シーツに涙が染み込んでいく。  でも、虎哥の匂いがする。煙草、石鹸、線香、香水のいい匂い。落ち着く。とても好きな匂いだ。そう、虎哥はすぐ隣の部屋にいる。  寝ぼけているのか、いろんな感情に振り回されて疲れたのか、本当に傍に虎哥がいる気がする。つまり、もう大丈夫。ここは安全で、何も心配いらない。気が緩んで眠くなる。つま先と指先からどんどん感覚が薄れて、考え事ができなくなっていく。  最後に、雨の音だけが残った。  気がつくと、俺は暗闇にいた。  嫌な匂いがする。砂と土、埃の匂い、薬物の匂い。  とにかくここから離れよう。そう思うのに、脚も、手も、頭も動かない。  背後から、耳の横から、人の吐息がする。生温かい呼吸が肌を掠める。  気持ち悪い。背筋が粟立つ。全身が冷たくなる。  脚も手も誰かに押さえつけられている。顎も掴まれている。呼吸が速くなる。  太腿を撫でられる。蛇みたいな手つき。  冷たい手だ。ずるずると這い上がってきて、股の間を探ってくる。汚い、気持ち悪い、嫌だ。触らないで、お願い。  吐き気がする。頬に涙が落ちる。  助けて、誰か。  虎哥。  父さん。  目が開く。暗闇から、薄闇へ。  心臓の音が耳まで響く。  冷や汗をかいている。手足が冷たい。呼吸は乱れている。  もうあんな目に遭うのは嫌だ。早く逃げないと、隠れないと、そして、戦う、それとも、助けを求める?  もがくと指が柔らかいものに引っかかった。  シーツだ。虎哥が吸う煙草の匂いがする。  落ち着け。近くに虎哥がいるはずだ。寝る前に、俺はどこにいた。思い出せ。  雨の音が全身にまとわりついてしまったように重い。指先を動かすのさえ怖くて、瞬き一つもできない。  あたりは薄闇。毛布越しの明かりは鈍い。  そうだ。虎哥の部屋のベッドで横になっていた。  誰の気配も、吐息も、体の上を這い回る手の感覚もしない。  あれは夢だ。現実じゃない。  雨のせいで怖い夢を見ただけだ。いつものこと。慣れている。  眠くはないけれど、横になって大人しくしていよう。寝返りを打つ。そこで、脚の間で変な感覚がした。売人たちに触られたときを思い出す。  呼吸が荒くなっていた。おそるおそる手を伸ばす。下着の中が熱い。膨らんだものが指に触れてすぐに離した。背中を丸める。  体が変だ。気持ち悪い。売人に触られたときと、同じ感覚がする。どうしよう。病気かもしれない。誰かに知られたら怒られるだろうか。こんな俺を誰かが見たら、汚い、気持ち悪いと嫌われるかもしれない。  手に汗が滲む。背中を汗が伝い落ちていく。  怖い。どうすればいいか分からない。  でも、虎哥だったら助けてくれるかもしれない。  少しずつ毛布から出て、ベッドから立ち上がる。背中を丸めたまま書斎の扉へと向かう。扉を叩く。すぐに足音がして、扉が開いた。 「邪魔してごめんなさい、父さん、虎哥、助けて……」  言った途端、ぽろぽろと涙が溢れた。 「十二、どこか体が痛いのか、どうした」  手を引かれてベッドに座る。正面に虎哥がしゃがんで、俺の顔を見上げている。 「ここが、変」  股の近くに手を置く。指が震えていた。 「どうしよう。売人に触られてから、おかしくなった」  虎哥が小さく息をつく。やっぱり、俺は汚いんだ。いなければよかった、消えてしまいたい。そう思ったとき、虎哥は立ち上がって俺の隣に座った。 「十二、それはおかしいことではない。大人になったんだ。誰かに教えてもらっていないか」  首を横にする。虎哥はそうだったとつぶやいた。 「どこかで教えるべきだと分かっていたが、教えられていなかったな。……また日を改めて教えるが、大人になっていくと、子どもを作れるように体が成長する。男は子どもの元になる精子を作るようになる。そうすると、精通する」 「せいつう……」 「そこから精子が出る。そのとき、大きくなるだけだ。出したら元通りになる」  初めて聞くことばかりで混乱した。覚えきれない。  頷いてはみたものの、恥ずかしいのもあって理解はほとんどできていない。 「どうやって出すの」  隣にいる虎哥を見上げる。 「やり方はいろいろあるが、手を使えばいい」  そのとき、虎哥がふっと視線を落とした。どこか居心地悪そうな顔をしているようにも見える。変なことを聞いたかもしれない。 「えっと、手で触ってやる?」 「ああ、そうだな」 「……触りたくない。今日のことを思い出して、気持ち悪い。どうしよう」  また涙が出てきた。どうしようもない自分が嫌になった。そのとき、虎哥の腕が背中に回されて抱き寄せてくれる。 「泣かなくていい。大丈夫だ」  よかった、虎哥に嫌われていない。  それが分かって嬉しかった。  目を閉じて涙がとまるのを待った。感じられるのは、煙草の匂いと雨の音、虎哥の大きな手、体温だけ。新しい涙が出なくなったところで、顔を上げて目を開ける。 「気分は落ち着いたか」 「うん。でも、まだ変な感じがして、むずむずする」 「十二、嫌なら言うか、離れてほしいんだが、……俺が代わりにやってもいいか」  どういうことだろう。頭が追いつかなくて、目を見開く。聞いた言葉を何度も繰り返す。胸がどくどくと脈打つ。鼓動がはやくなっている。頰が熱くなる。  虎哥の手が背中から離れていく。  嫌だ。どうして離れるの。そう思っていると、虎哥は軽く首を横にして、立ち上がろうとする。 「すまない、あんな目に遭ったばかりなのにこんなことを言って。怖がらせたな」  咄嗟に虎哥の上着の裾を掴む。 「やだ、行かないで。虎哥、離れないで、置いていかないで」 「だめだ、十二。俺はお前を怖がらせたくない。親は、いや、大人は、子どもにこういうことをしてはならない」 「怖くないから、お願い。俺を治して」  もう、うまく考えられなかった。また涙が出てくる。とにかく虎哥から離れたくなかった。虎哥がすることだったら、何をされたとしても俺は平気だ。 「……嫌だったら、すぐに言ってくれ」  頷いた。虎哥はベッドの中心あたり座った。そして、俺を背中から抱きかかえて脚の間に座らせた。懐かしい。廟街に来たばかりで離脱症状がひどかったときは、こうして抱きかかえられた。腕や脚を引っ掻こうとする腕を押さえたり、腕を噛もうとする口にハンカチやタオルを噛ませたりして、俺が落ち着くまで一緒にいてくれた。 「すまない」  どうして謝るの? そう思って振り返りかける。履いていたズボンに手をかけられて、下ろされる。呼吸が浅くなった。売人たちの手つきを思い出す。  大丈夫だ。落ち着け。虎哥が俺を傷つけたことなんて、一度もない。膝までズボンが下ろされた。下着も少しずつずらされる。肌が出て少し寒い気がした。 「嫌じゃないか?」  優しい声が耳のすぐ後ろでした。 「平気、大丈夫」  自分の心臓の音が耳の奥で聞こえた。虎哥の大きな手が軽く脚のつけ根を撫でて、大きくなった俺のものを包む。 「んっ……」 「痛かったか」 「違う、大丈夫。えっと、くすぐたかった」  くすぐったい以外にも、腰の奥がむずむずする初めての感覚があった。これがどういう感覚なのか分からなかった。虎哥の手がゆっくり動き始める。背中や腰、脚が細く震えてしまう。でも、気持ち悪いとは感じなかった。売人たちの手つきとはまったく違っていて、優しい。背後からは虎哥の片腕が俺の胸元に回されて、そっと支えてくれている。 「ぅっあ……、う、う……んっ……」  湿った音が聞こえてくる。汗とは違う、粘ついた音だ。何かが出ているみたいで、不安になる。 「ん、んぅ……虎哥……これ、何? おかしい?」 「おかしいことじゃない。気持ちよくなると出るんだ」 「気持ちいい……」  これが気持ちいい。頭が追いつかなくて、焼けるように体が熱くて力が抜ける。虎哥の胸元にもたれて、胸元に回されている腕にしがみつく。くすぐったい、むずむずする、そんな感覚と鋭い熱さが腰の奥にたまっていく。  虎哥の手が動くたび、息が上がって、体が熱くなる。額から汗が伝う。  脚の間は生温いもので濡れていて、湿った音が響く。恥ずかしい。それなのに心臓はどくどくと耳の奥で聞こえるくらいはやくなって、腰が勝手に動いてしまう。  硬くなったものの先に、虎哥の手が触れた。びくと腰が跳ねる。思わず、強く目を瞑った。目を瞑っていても、白い光がちかちかと瞬いている。何かが出そうだ、だめだ、震える口を何とか開く。 「んんっ……、ひっ! 待って、とめてっ、虎哥! トイレ行く……おしっこ出る」  動いていた虎哥の手がとまった。 「大丈夫だ。尿意じゃない」 「さっきの、せいつう?」 「そうだ。どうする、やめるか」 「……やめないで、お願い」 「分かった」  また手が動き出す。腰が震えて、額から汗が伝い顎から落ちた。全身が熱い。今にも何かが出てしまいそうで、心臓の音がうるさい。 「あ、ぁっ……! んっ……! やだ、怖いっ……ひっ!」 「大丈夫だ、十二。俺がいる」  耳元で聞こえた声に縋るように、虎哥の腕を夢中で握りしめる。顔を押しつけて、どこにも行かないで、離さないでと何度も願う。 「う、あっ……虎哥、父さん、とうさん……!」  腰が浮くように動いた。どろりと何かが溢れ出す感覚。熱い、くすぐったい、恥ずかしい。いろんな感覚で頭がぐちゃぐちゃだ。下の方を見ると、虎哥の手に白い液体がついていた。  走ったあとみたいに息が乱れている。汗もひどい。何か悪いことをしたような、いけない何かに足を踏み入れてしまったような気がする。この気持ちはどう扱えばいいのだろうか。 「十二、大丈夫か」  小さく頷いた。目が回りそうで立てないけれど、気持ちが悪いわけではない。虎哥は俺をベッドに横にした。虎哥は立ち上がって、膝掛けを持ってきて腰にかけてくれる。汚れるからいらないと言おうとしたけれど、唇が震えていて話せなかった。 「少し待っていてくれ」  そう言って虎哥は部屋を出ていく。  待って、どこに行くの、途中まで出かかった言葉を飲み込む。目を閉じた。まだ雨は降っていて心細い。じっとして待っていると、扉が開く音がした。目を開くと、虎哥がタオルと服を持って立っていた。虎哥はベッドに膝をついて、俺の腰にかかった膝掛けをどかして、濡れたタオルで脚や腰を拭っていく。冷たい感覚が心地いい。ふう、と息をつく。 「気分は悪くないか?」 「うん。大丈夫。ありがとう、虎哥」 「礼など言うな。こういうことは、しない方がいい」  どうしてしない方がいいんだろう。売人たちは無理に触ってきたけれど、虎哥は俺に確認してくれた。それに、他に方法がなくて、こうやって対処しただけだ。もっといい方法があったのに、どうしてもできなかったからこう言うのだろうか。でも、他にいい方法があったとは思えない。しない方がいい理由を聞きたかったけれど、虎哥に難しそうな顔をさせそうで気が引けた。結局、俺は黙っていた。 「下着と寝間着の替えを持ってきた。着替えなさい」 「ありがとう」  着替えを受け取って、俺はベッドから下りる。虎哥は背を向けた。  新しい下着とズボンを履いて、ベッドに座る。 「これを片付けたらすぐに戻る」  虎哥は着替えた寝間着と使ったタオル、膝掛けを持って、部屋を出ていった。雨音が聞こえるけれど、音は遠い。ベッドに横になって毛布をかける。眠くなってくる。今日はいろいろあって疲れた。思い出すのが億劫なくらい。それでも、虎哥が戻って来る前に眠るのは嫌だと何とか目を開けていると、足音がして、扉が開く。 「虎哥」 「まだ起きていたのか」 「待っていたかっただけ」  自分の声は明らかに眠そうで、ぼやけている。こんな状態でよく起きているものだとおかしかった。虎哥は義眼を外し、明かりを消した。ベッドが沈んで虎哥が隣に横になった。毛布が捲(めく)られて、虎哥が入ってくる。 「もしお前が一人で寝ていたいなら、俺は別のところに行く。それとも、自分の部屋に戻るか」 「戻らない。一緒にいて、虎哥……今日の虎哥は、俺と一緒にいるのを避けてる気がする。どうして? 俺が、迷惑をかけるから?」 「違う。大人は子どもに頼ってもらうのが仕事だ。迷惑など思っていない。ただ……さっき俺がしたことは、いいことではない。俺が近くにいて、触れることで、お前を怖がらせたくない」 「怖くない。俺は治った。元通りになった」 「治ったんじゃない、病気ではないからな。大人になれば当然のことだ。しかし、説明が必要だった。時間を取って勉強させておくべきだった」  そうだとしても仕方がない。離脱症状が落ち着いて、一人でいても薬物をする心配はないと虎哥と龍哥にお墨付きをもらったのもほんの少し前だ。それまでは一人で出かけられるのは、廟街でも売人がいない表通りか、兄貴の誰かか、虎哥の知り合いがいて、俺を見守ってくれる場所だけだった。学校に行っていなくて、家や九龍城砦で勉強したけれど、具合が悪くてできない日も多かった。周りの他の子どもよりずっと手間のかかる俺に、虎哥たちは勉強させてくれたり、遊んでくれたり、とにかくできるだけのことをしてくれた。それは周りを見ていればなんとなく分かった。子どものときくらい甘えさせてやらないといけない、自分が子どもの頃と同じ寂しい思いをさせたくない、と兄貴たちが話していたのだって知っている。 「心配しないで、虎哥。俺は平気だ、大丈夫だから。傍にいさせて」 「疑っているわけじゃない。だが、お前は優しい。嫌なことを黙っていないか、俺に気を遣って気丈に振舞っていないか、気がかりなんだ」  虎哥は俺の前髪を払ってくれた。指で額を撫でてくれる。少し硬い指先が触れるその感覚が、俺は好きだ。  背中を丸めて虎哥の胸元に潜り込む。少しだけ、寄り添った胸元が震えて離れた気がした。後ろに体を引きかけたのかもしれない。離れないで。思わず虎哥の背中に腕を伸ばして、しがみつく。 「仕事はもういいの?」 「明日起きてからやればいい。お前は気にしなくていい」 「朝起きたら、俺も起こして」 「分かった」 「置いていかないで。一人で起きると、寂しい」 「心配するな、約束する」 「ありがとう……父さん」  大きな手が頭の後ろから、うなじ、肩、背中までゆっくり撫でてくれる。大好きな温かさ、感覚。滑らかに、波に乗って遠くに運ばれるように、眠気がやってくる。 「おやすみ、十二」  眠る間際か、もう眠ったあとか。分からないけれど、優しい声がした。虎哥は、父さんはどんな顔をしているんだろう。  見たかったけれど、もう目を開けない。そもそも目も、指も、足も、感覚が曖昧になっていて、どこを動かそうにもそんなものがあったかと、体がとぼけている。  でも、見えなくてもいい。  だって、温かい。傍にいる。  朝も起こしてくれるだろう。そのときに見ればいい。






公開:2026年10月4日

更新:2026年10月4日

1-1  1-2  1-3  1-4  1-5
2-1  2-2  2-3  2-4  2-5  2-6  2-7
3-1  3-2  3-3  3-4  3-5  3-6  3-7

同人誌ページ