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虎穴で飼われる仔は虎をのぞむ

『虎穴で飼われる仔は虎をのぞむ』サンプル(※本は縦書きのため、一部サンプルと記号等が異なります。) 「廟街の虎はある仔をのぞむ」(書下ろし)    五  阿風と信一が昼食を食べ終えたあと、信一は昼寝のために阿風の部屋に行った。俺と阿風は、明るい陽射しが差し込む窓際で煙草を吸う。 「あの売人どもはどうした?」  連中がどうなろうと知ったことではない。そのはずが、なぜか話そうとしていたことを切り出すのに気後れして、尋ねていた。いや、廟街としては振りかかってきた火の粉の対処をしなければならない。そのために情報が必要だ、と適当な理由をつけて気後れではないとごまかす。 「いろいろと話して(﹅﹅﹅)もらった。俺が決めた規則を、子どもに売らなければいいと判断したらしい。薬物をただで渡して、親から金を取ろうとしていた」 「そんな言い訳をされては、きりがないな」 「だから、手を打ってある。かわいそうだが、見せしめになってもらおう。運悪く、廟街の虎哥に手を出したからな。それなりの報いを受けてもらう。そうすれば、馬鹿な真似をする連中は減るはずだ」  かわいそうと感じているとは、微塵も思えない軽薄な口調で阿風は言った。駆除される虫を傍目に言っている方が似合っている。 「俺も侮られては困る立場だ。悪辣な売人どもを一掃できるなら、名くらい好きなだけ貸してやる。よければ、手下も貸そう」 「やけに気前がいいな。十二が巻き込まれたからか?」 「そうだ。あの子は、俺の子だ」  阿風は煙草を指で摘み、心の底から楽しそうに笑う。からりと笑う爽やかな声は、若かった頃とまったく変わりない。聞いていると、こちらもつられて頬が緩む、そんな心強い笑いだ。 「いつ決めた? 自分の子だと」 「さあな。十二はよく周りを見ている。それで、以前から気に入っていた」 「それだけじゃないだろ」  引き取るには荷が重いと言っていたくせに、一転して自分の子だと言い始めた理由は? と阿風は大げさに首を傾げた。興味を隠そうともしていない。だが、心配や気遣いに見せかけて詮索してくるより、単なる好奇心で聞きたいと素直に表している方がいい。 「煙草を買いに行ったとき、十二は俺を売人から守ろうとしてくれた。勇敢で、優しい子だ。欲しくなった。理由はそれだけだ」 「いいな、阿虎、お前らしい」 「だろう。身勝手で、自由気ままな虎だからな」 「その先は考えているのか? 後継者にするのか」 「いや。何も考えていない。お前だって、そんなことを考えて信一を引き取ったわけじゃないだろう」 「そうだな」  俺たちは深く煙草を吸った。窓の外に向かって煙を吐き出したが、流れ込んできた風で店の中に煙が広がる。カーテンのように広がった煙は日の光でふわりと舞って、白く輝く。 「あの子を、どうこうしたいとは考えていない」  本当か? 俺はあの子をどうしたい?  腹では何か企んでいたんじゃないのか。  狡猾で傲慢、遠慮も畏れも知らない虎と喩えられる、廟街の虎哥(俺)のことだ。どこに何を隠していようが、驚かない。  自分でも気がつかない振りをしていたが、実のところ俺は何かに利用するため欲しがっていたんじゃないか?  今まで何人もの手下の世話を見てきたが、後を継いでほしいとは誰に対しても思わなかった。能力がある者が勝手に後継者になればいい、俺が選ばずとも才覚と運がある誰かが自然となるものだと考えていた。血眼になって探そうが、相応しい者が見つからないときもある。継ぐに相応しい者がいなければ、そのときはそのときだ。  しかし、その考えは覆っていないと言いきれるか。その考えを翻してみようとは、一度も思わなかったか。もし十二が俺の後を継いでくれるのであれば、理想だと考えていなかったと言えるだろうか。あの子に後を継いでほしい、いつか廟街を束ねる立場になってくれたのならどれだけ相応しいかと想像しなかったのか。考えかけて、想像しかけて、途中でやめただけではないのか。  そんな思いを飲み込むように、俺は言葉を続ける。 「後継者や手下になってほしいなんて願望は、あの子には似合わないしがらみだ」  どんなことを考えていようが表に出さなければ、鳴りを潜める。言葉に出して、行動したことだけが確かになる。やろうと思えば、真っ赤な嘘である綺麗事すら真にして生きていける。  人間は面倒で厄介だが、内はどれだけ汚かろうが、上辺は綺麗な振りをして生きていけるのはいいことだ。人間は汚くて、愚かで、浅はかで、表だけでも繕おうとしなければ、獣と変わらない。唯一、人間の悪くないところは、せめても表を繕い、綺麗事を信じて生きようとすれば、獣ではなくなる。人に成れる。  俺が胸の内で何を企んでいようが、あの子の無邪気に澄んだ瞳が曇る真似だけはしたくない。黒社会で生きる者が望むには、綺麗事すぎるだろうか。  それでも。  ただ、自由に、好きなように生きる十二が見たい。  そうだ。俺が欲しいのは、そんなあの子だ。 「あの子が気に入った。少しでも俺が後悔しないように、十二の世話をしたくなったくらいに。もし廟街外に出てまっとうに生きたいなら、いつか俺と縁が切れても構わない。黒社会に入りたいのなら、とめるつもりもない。好きに生きてもらいたい」 「難しいな、それは。大人になっても、自由を持て余す者は多い」 「自由を捨てて、あえて縛られたがる者さえいるからな。だが、扱いが難しいからこそ、自由には価値がある。あの子には、好きに道を決めてほしいんだ」 「よかった」  凪いだ波のような声で阿風が言った。若かった頃はこんな声音は聞かなかった。昔の俺が聞いたのなら、あたかも何でも知っているように格好をつけた声をした嫌な大人だと思いそうだ。おそらく、やっと俺たちは振舞いや考え方が年相応になってきたのだ。 「阿虎に十二を会わせて、間違いはなかった」 「返してほしいと言われても、もう返せない。後悔するなよ」 「もちろんだ。返すなんて言うはずがないと分かっていたから、会わせたんだ」 「すべてお見通しか。阿風の人を見る目には敵わないな」  くすくすと笑い合う。小刻みに揺れる煙を眺める。いい日だ。写真や日記に残しておくと、むしろ陳腐になってしまいそうで、記憶をあえて留めずに風化させたい。いい日だからこそ、保存しようと躍起になって飾り立てて大切にしまい込むより、そのままにして懐かしみたいのだ。  店の奥の方で物音がした。信一か、十二のどちらかが起きたようだ。  話をやめ、短くなった煙草を消した。足音が近づいてくる。奥の部屋に通じる扉がゆっくりと開く。十二がおずおずと顔を出し、入ってきた。 「お腹が空いたか?」  阿風が尋ねる。十二は頷きながら近づいてきた。 「俺もまだ食べていない。一緒に食べよう」  声をかけると、彼は頷いた。 「ありがとうございます、虎哥」  まだ目元が赤いが、十二は笑みを小さく浮かべた。俺たちは料理があるテーブルに向かい椅子に座った。疲れもあったのか十二は黙々と料理を頬張っていく。俺が料理を食べる横で、阿風は煙草を吸っている。十二が箸を置いて食べ終わったところで、俺も食べるのをとめた。 「十二、俺の子にならないか」  もっと別の言いようがあった。言ってしまったぶっきらぼうな言葉へ後悔するも、自分の思いを率直に伝えたかった。回りくどい言葉で照れ隠ししたくなかった。  気に入った。だから、欲しい。それを包み隠さず言うことが、俺にとってできる最も公平な行動に思えた。  十二は目を丸くして、俺を見つめる。  素早く瞬く。  本当に?  そう口にする代わりに、どんなかすかな素振りでも見逃すまいとしている。  いい眼だ。  黒い瞳が、俺を見据える。  深く澄んだ黒に、目が離せなかった。  そこには、躊躇いも、迷いも、怯えも、期待も、喜びもない。  ただ、真っ直ぐに。  綺麗な眼をしている。  見据えられた数秒の静けさは、好ましい。  十二は視線をずらした。俺の隣にいる阿風を窺っている。 「黙っていて悪かった。実は、虎哥に十二を引き取ってもらえないか、養子を探している誰かいないか探してもらうのに協力してもらっていた。このままずっと九龍城砦にいては、薬物から離れるのが難しいからな。十二はどうしたい?」 「俺、ここも、龍哥も好き。……でも、虎哥も好きだ」  ぽつりと答えた十二は背中を伸ばし、膝の上に手を置いている。緊張し、戸惑っている。無礼を言って、見捨てられないだろうかと俺たちを探っている。小さく、関節が目立つ手が、ぎゅうと握りしめられる。 「俺が選ぶの? 龍哥か、虎哥か……」 「どちらを選んでもいい。今すぐ決められなくてもいい」 「二人とも好きじゃだめ?」 「嬉しいことを言ってくれるな。ここにいるのも、出ていくのも、十二だけではすぐに決めにくいだろう。誤解しないでほしいんだが、俺はお前を九龍城砦から追い出したいわけじゃない。だがな、ここ以外にも、いい場所がたくさんあるんだ。今すぐ決めなくてもいいが、どこに行きたいか自分で考えて、選んでほしい」  子ども相手に難しいことを言うものだ、と口元が歪んだ。それでも、阿風は十二に対して真摯に向き合いたいのだ。 「十二、俺も龍哥と同じで、今すぐに決めろというわけじゃない。待っている。焦らずに決めればいい」 「俺、虎哥の子に、なる」  待ってと追い縋るような声だった。か細くも、それでいて迷いのない、芯のある答えだ。 「今日、守ってくれたとき、虎哥が……俺の子だって言ってくれて嬉しかった。本当に、そうだったらいいって思った」 「そうか。あのとき、俺は勝手なことを言った。俺の子なんて言って、嫌な思いをさせていないか気にしていた」  どうして? と十二は首を傾げた。 「俺、虎哥の子になりたい」  さすが自分が気に入っただけある。こんな俺の、身勝手気ままに振舞うことしかできない、傷だらけの虎の子になりたいと言うなんて、変わった子だ。  一層気に入った。この子は、俺の子だ。 「十二、ありがとう」  首を傾げた十二は無邪気な眼差しのまま、少し遅れて頷いた。なぜそんなことを言うのか。礼を言うのは引き取る大人ではなく、これから世話を見てもらう自分が礼を言うべきなのに、と不思議そうだ。 「俺こそありがとう。虎哥」  阿風が俺の肩に手を回して叩いた。よかったなと言いたくて堪らなさそうだ。俺は軽く息を吐いて、よせと苦笑して応じる。 「帰ったら、廟街で暮らすのに必要なものを揃える。来週には準備を終わらせて迎えに来る。十二、それまで待っていてくれるか」 「うん。待ってる」  十二は柔らかく笑った。部屋に差し込む陽射しとよく似合っている。この子を廟街に連れて行くことで、阿風と信一には寂しい思いをさせる。それを悪いと思いながらも、もう頭の中は十二を迎えるために何の準備が必要かでいっぱいだった。






公開:2026年10月4日

更新:2026年10月4日

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